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1950年の風景

2018/03/31

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

小松秀樹

2018年3月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

社会保障設計

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●50年勧告:社会保障の設計図

 第二次大戦後、世界で社会保障制度が大きく進展しました。

イギリスでは、1942年のベヴァレッジ報告書によって、

社会保険制度を基本とする戦後の社会保障が提案され、

「ゆりかごから墓場まで」とよばれる福祉国家が形成されました。

 

日本の社会保障制度審議会は、

1950年10月「社会保障制度に関する勧告」(50年勧告)で、

その後の社会保障制度の設計図を提示しました。

 

新憲法が、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障したことも、

社会保障制度の発展をうながしました。

 

50年勧告は、冒頭で、社会が問題を持つこと、

それを解決する方法があることを宣言しました。

 

「時代はそれぞれの問題をもつ。」

「問題はそれぞれの解決法をもつ。

   旧い日本ですら、それぞれの時代においてそれの貧乏退治の方法をもった。」

「要するに貧と病とは是非とも克服されねばならぬが、

   国民は明らかにその対策をもち得るのである。」

 

次いで社会保障制度の全体像を描きました。

 

「社会保障制度とは、

   疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子そのほか困窮の原因に対し、

   保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、

   生活困窮に陥った者に対しては、

   国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、

   公衆衛生および社会福祉の向上を図り、

   もってすべての国民が文化的社会の成員たるに値する

   生活を営むことができるようにすることをいうのである。」

 

50年勧告は国民の自主的責任を重視し、

日本の社会保障の基本を公費ではなく社会保険におきました。

 

「国家が国民の生活を保障する方法ももとより多岐であるけれども、

   それがために国民の自主的責任の観念を害することがあってはならない。

   その意味においては、社会保障の中心をなすものは

   自らをしてそれに必要な経費を醵出せしめるところの

   社会保険制度でなければならない。」

 

しかし、この時期、日本は極度に疲弊していました。

戦争のために、貧困のどん底で苦しむ者が多かったのです。

 

戦後の疲弊は、社会保障制度にも影を落としました。

50年勧告は、医療保険、年金保険について、

支払い能力のある被用者のための保険と、

支払い能力のない農業従事者・自営業者のための保険とを

分離せざるをえませんでした。

 

50年勧告は

「できれば,すべての国民を対象とすることが望ましい。

   しかしながら,経済が窮乏し保険料の負担能力が少い現在,

   一般国民に対するこの種の保険は将来日本の経済が

   十分回復するときまでまたねばならぬ」と説明しました。

 

自活できない困窮者をどうするのか。

 

「国家は直接彼らを扶助し

   その最低限度の生活を保障しなければならない。

   いうまでもなく、

   これは国民の生活を保障する最後の施策であるから、

   社会保険制度の拡充にしたがって

   この扶助制度は補完的制度としての機能を持たしむべきである。」

 

これが、50年勧告の5か月前に成立した生活保護制度です。

 

95年勧告

1995年、社会保障制度審議会は

「社会保障体制の再構築」と題する新たな勧告(95年勧告)を提出しました。

時代の大きな変化に社会保障が追いついていないと認識しており、

少子化、高齢化、家族制度の変化による孤独化への対応を提案したものです。

 

私は、山崎史郎氏の著書でこの勧告について教えてもらいました。

山崎氏は香取照彦氏などと共に、

介護保険法立案の中核メンバーでした。

 

山崎氏の『人口減少と社会保障』(中公新書)、

香取氏の『教養としての社会保障』(東洋経済)は日本の危機的状況を、

データで客観的に示しています。

 

私は民主主義を守るために、

原則的に官を疑ってかかることにしていますが、

この2人については高く評価しています。

 

95年勧告は、社会保障の理念として、

「広く国民に健やかで安心できる生活を保障すること」を掲げ、

さらに「社会保障制度は、みんなのためにみんなでつくり、

みんなで支えていくものとして、

21世紀の社会連帯のあかしとしなければならない」とします。

 

50年勧告に比べて、意図が明確に示されていません。

ネット上で探索すると、

社会保障に対する国家の責任を弱めることを狙ったものだとする

複数の論考にヒットしました。

 

年金制度についての記載にそれがうかがえます。

 

「公的年金は生活の安定にかかわる基本的なニーズを満たし、

   企業年金や個人年金はより豊かな老後の生活の保障を求めるニーズに対応する。

   今後は、後者の役割がこれまでより大きくなると考えられる」とあり、

公的年金を相対的に小さくし、

企業年金や個人年金を大きくすることが提案されていました。

 

財政状況によっては、公的年金の絶対額も減らされます。

 

95年勧告は、楽観的な認識に基づいていました。


「給付はもはや生活の最低限度ではなく、

   その時々の文化的・社会的水準を基準と考えるものとなっている。」

 

「今日、我が国は世界で最も所得格差の小さい国の一つとなっている。」

 

「社会保障が安定的な購買力を国民に与え、

   それが一要因となって戦後は深刻な不況に見舞われずに経済の発展をみた。」

 

皮肉にも日本社会はこの後暗転します。

経済が停滞し、貧富の格差が急速に広がり、孤独化が進みました。

 

少子化と高齢化の問題が国民全体に認識されるようになりました。

第三次生活困難期(『看取り方と看取られ方』国書刊行会)

※ともよぶべき低迷期に入ったのです。

 

95年勧告の楽観的な認識ははるか過去のものになりました。

山崎氏は『人口減少と社会保障』(2017年9月出版)で、

「今読み返すと、隔世の感を覚えるのは筆者だけではないと思う」と述べました。

 

●「新時代の『日本的経営』」

山崎氏の著書には、もう一つ重要な情報がありました。

経団連(当時)が、1995年、

「新時代の『日本的経営』」という報告書で、

企業従業員を以下の3グループに分けることを提案したのです。

 

長期蓄積能力活用型とは、

管理職・総合職であり、長期継続雇用で月給制・昇給があります。

 

高度専門能力活用型とは規格・営業等専門部門であり、

有期雇用、年俸制で成果が配分されます。

 

雇用柔軟型は有期雇用で時間給です。

 

この報告書が発表された後、

派遣労働が原則自由化され、非正規雇用が急速に拡大しました。

 

企業が、人件費節約に加えて、

社会保険料の負担を減らそうとしたからです。

 

多くの人たちが中間層から貧困層への転落を余儀なくされました。

可能な限り従業員の賃金を下げ、

社会保険から被用者を排除しようとする風潮が拡がると、

あたりまえのことですが、社会に不安がひろがり、消費が抑制されます。

 

日本が繁栄を謳歌していた時期、

50年勧告が求めていた社会保険の統合はなされませんでした。

 

生活保護受給者数は1955年度の193万人から

経済成長と共に減少傾向が続き、

1995年度には最低の88万人にまで減少しましたが、

以後、増加に転じ、

2015年度には過去最高の216万人に達しました(被保護者調査)。

 

●1950年の風景

現在の日本は、1950年頃に似たところがあります。

50年勧告で、農民、自営業者は

保険料を支払うだけの所得がなかったため、

被用者保険から外されました。

 

現在の低所得層は非正規労働者です。

1950年同様、彼らのセイフティネットは社会保険ではなく、

生活保護になっています。

 

1950年と現在の日本には、大きな違いもあります。

当時の日本には、

どん底から立ち上がろうとする熱気と希望がありました。

人口が増え、経済が成長しました。

 

現在の日本に熱気はなく、未来に希望が持てません。

格差が拡大し、相対貧困率はOECDの中で上位になってしまいました。

 

●権丈善一教授の怒り

 10年ほど前、慶応大学の権丈善一教授と

何度か個人的に議論したことがあります。

 

権丈教授は学者としては異色で、

気骨があり、責任感にあふれています。

 

当時、財源論を重視して、

出処進退を明確にされたのに感心したことがあります。

 

2013年、権丈教授は、

社会保障制度改革国民会議報告書の

「医療・介護分野の改革」を起草して、

国家統制を強めることを提案されました。

 

この点について、

私が反対の立場であることを申し添えておきます。

 

権丈教授は、「みんなの介護」という

老人ホーム・介護施設の紹介サイトのインタビューで、

被用者保険の非正規労働者への適応拡大、

介護保険被保険者の若年層への拡大について解説していたところで、

突然、労働者の生涯を支えられないような給与しか払っていない会社に

存在意義はないと怒りの発言をされました。

 

「日本人としてディーセントな生活を保障することのできる付加価値、

   つまり、所得を生むことができないビジネスというのが、

   この日本にあっていいと思いますか?

   昔々は児童労働を使っていたけど、それは、はるか前に禁止されました。

   社会というのは、児童労働の禁止をはじめとして、

   ある条件を満たすことのできる企業、

   社会的に定めた一定水準以上の労務コストを負担することができる企業にしか、

   その社会での存在意義を認めないという判断をしてきたんです。

   そしていまは、日本で働く人たちの生涯の生活を保障する

   付加価値を生むことができる企業の営業を認めている。

   もしそれができていないのであれば、

   できるように時間をかけてでも業態を変えてもらう。

   そんな感じでしょうか。」

 

※※社会保険は本質的に自助努力であり、

生涯にわたる低賃金に対するセイフティネットにはなりません。

 

インタビューの論理的流れを踏み外したところに、

怒りが現れています。権丈教授は、とても心優しい人です。

 

日本では、近代以後の二度にわたる生活困難期を克服するのに、

政治的正統性(political legitimacy)の変更と

民衆思想が大きな役割をはたしました

(過去の生活困難期を振り返る『看取り方と看取られ方』国書刊行会)※。

 

二宮尊徳や石田梅岩は、

貧困克服のために、個人の人格を高め、勤勉に働くことを教えました。

 

しかし、彼らの思想によれば

貧者は人間として劣っていることになります

(安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』)。

 

貧者の蔑視は世界共通ではありません。

清教徒の職業召命説にはその傾向がありますが、イスラムには希薄です。

 

ネット上に生活保護受給者への罵倒が散見されたり、

役所の福祉担当者の一部が、

申請主義をたてに生計困難者に冷たく当たったりするのは、

貧者を蔑視する民衆思想のためです。

 

当然のことですが、現在の日本の貧困層の拡大を、

貧者の個人的努力で解決することはできません。

 

江戸時代以来日本人に染み付いた民衆思想を見直すべきです。

第三次生活困難期を乗り切るのに、

権丈教授の怒りを、思想として広める必要があります。


http://medg.jp/mt/?p=8099 http://medg.jp/mt/?p=8101
※※https://www.minnanokaigo.com/news/special/yoshikazukenjyo2/page3/

 

 

 

 

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