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神奈川県立病院機構事件を考える

2018/04/12

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

小松秀樹

2018年3月23日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

神奈川県立病院機構解任

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神奈川県立病院機構の土屋了介理事長が黒岩祐治知事に解任された。

元職員の不正を組織決定することなく厚生労働省に告発したこと、

記者会見を勝手に開いたことが解任理由だという。

 

事実関係については、すでにいくつか文章が出ている。

本稿では事件について私が考えたことを述べる。

 

●国民感情

国会に求められた文書を、

黒塗りにして提出することが常態化している。

 

役人が国会で虚偽の発言をしたことも明らかになった。

日本の行政に対する信頼が大きく揺らいでいる。

 

元検察官の若狭勝氏は、

官僚の文書書き換えは日常茶飯事だと書いた。

森友問題で、政府が他にも嘘をついている可能性は否定できない。

 

国民の目には、黒く塗りつぶされた文書と虚偽発言が、

安倍総理大臣や麻生財務大臣、

菅官房長官の高圧的な発言と二重写しに見えている。

 

国民感情が政治に大きな影響を及ぼしかねない。

 

森友問題での小学校用地売却について、

籠池氏はある時点で潮目が変わって、

急にすべてが進み始めたと証言した。

 

元大阪府知事の橋下徹氏は、

大阪府が認可を出すよう「国から相当圧力を受けた」と語った。

財務省が大阪府に圧力をかけたとすれば、異例の行動である。

 

国民の眼には、森友問題は行政の問題ではなく、

政治家の問題だと映っている。

 

与党の政治家が、行政に責任を押し付けすぎると墓穴を掘りかねない。

小泉進次郎議員はこうした国民感情を熟知しているが故に、

「自民党という組織、政党は、

官僚のみなさんだけに責任を押しつけるような政党ではない。

その姿を見せる必要あるんじゃないか」と発言した。

 

自民党の国会議員が事態を危惧するのは当然である。

 

●行政の裁量権

森友問題、加計問題の原因は、

役人が個別国有地の売買、個別小学校、個別大学の設置認可権限など

広範な裁量権を握っていたことにある。

 

個別の企業や学校に対する行政の細かな統制は、

停滞と腐敗をもたらす。

 

大学も新たな参入、退出がなければ活力が失われる。

日本の大学の不振は、

行政の裁量権の大きさに起因するのではないか。

 

2018年3月段階では、役人に同情が集まっているが、

国民が政治主導に沸き立った時期もあった。

 

1999年、政治家の行政への関与を高めるために、

副大臣、政務官ポストが設けられた。

 

安倍政権の下で、2014年、内閣人事局設置がされた。

これにより、官邸が各省庁の幹部の人事を一手に握ることになり、

権力の重心が役人から政治家に大きく動いた。

 

政治家の力が強くなったが、

今も個別事例での最終的な決定権は役人の手の内にある。

 

●多事争論

中国では君主が権威と権力を一手に握ったのに対し、

日本では権威と権力を天皇と幕府が分担した。

 

福沢諭吉は、両者の相違ゆえに議論が生まれ、

そこに思考の自由が生じたと述べた(『文明論之概略』)。

 

それでも、二元論では、議論は不十分にならざるをえない。

 

このため、福沢は

「自由の気風はただ多事争論の間にありて存するものと知るべし」と

多事を強調した。価値の多元主義である。

 

●チェック・アンド・バランス

日本の行政は、国、都道府県、基礎自治体に分かれているが、

最も問題が大きいのは都道府県である。

 

国家全体の大方針を策定する国、

住民に直接向き合う基礎自治体の間にあって、

存在目的が希薄である。

 

存在感を示すために、

しばしば強引に振る舞い、住民を苦しめる。

 

私は、東日本大震災で、

福島県が県民をないがしろにする場面をいくつか観察した。

千葉県では県民の利益を無視した医療行政を観察した。

 

専制を防ぐための方法がチェック・アンド・バランスである。

 

日本では、チェック・アンド・バランスは

立法、司法、行政が互いにチェックしあう

三権分立との関連で語られているが、三権分立は難しい。

 

専制国家では、立法、司法、行政は単一権力、

例えば共産党やヒトラーに従った。

 

日本は民主主義国家とされているが、

チェック・アンド・バランスが機能しているとはいえない。

日本では、三権があうんの同調圧力で一つの権力構造を作り、

互いに補完し合っているように見える。

 

●役人は不正の責任をとってきたか

国家賠償法第1条1項は、

「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、

その職務を行うについて、

故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、

国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」と規定されている。

 

それでは、何をしても許されるのか。

 

第1条2項は

「故意または重過失があった場合に限り国または公共団体は、

その公務員に対し求償権を有する」と規定されている。

 

しかし、国あるいは公共団体から

当該公務員への求償が認められた実例はほとんどない。

 

日本では個人が行政を訴えても勝てることはない。

加えて、業務から外れた違法行為が行政行為であるはずがない。

 

このため、私は、亀田言論弾圧事件で、

私を解雇するよう経営者に圧力をかけた公務員個人を訴えた。

しかし、最も重要な証人を採用しないなどの裁判所の訴訟指揮に、

日本の裁判の実情をあらためて実感することになった。

 

●土屋了介氏とのかかわり

私と土屋了介氏は、10数年来の顔なじみである。

ただし、土屋氏個人について知っていたことは、

赤字に苦しむ癌研有明病院を立て直したこと、

神奈川県立病院機構の医業収入を大幅に向上させたことぐらいだった。

 

一度だけ、土屋氏の人となりを知るチャンスがあった。

私はある病院で、手術室の改革を担当していた。

手術申し込み、部屋の準備、物品倉庫の配置と使い方、

物品の管理、機械の消毒、部屋の清掃、患者の入室と退室、

手術材料の納入方法、手術の原価計算、収支計算など

あらゆることを含めた大改革を実施した。

 

改革にあたり、手術材料の購入方法が問題になった。

 

ある業者が、手術材料の購入システムを提案し、

現場の看護師の手間を省くことを

巧みに宣伝して彼女らの心をつかんでいた。

 

しかし、このシステムは、

収支の判断までシステムに任せるという致命的欠陥を有していた。

 

当時、土屋氏が似たような問題を経験していたことを知り、

状況を教えてもらった。

 

この時の議論で土屋氏の責任感と、

同調圧力に屈しない個人の強さを知った。

 

●計画主義では役人や専門家が主導権を持つ

日本の計画経済は戦前にはじまる。

革新官僚が力を持つようになり、

マルクス主義の影響を受けた経済テクノクラートが、

調査と数字で統制経済の基礎を固め、重工業化をおしすすめた。

 

戦後、同じテクノクラートによる国家主導の統制経済的な手法が、

大きな成果を生んだ。

 

生産活動の微細な部分まで、

国家が関与するのが当たり前になり、

結果として個人の自由な活動が阻害され、社会が停滞することになった。

 

社会には断片的で個人的な知識が大量に存在する。

不完全で場合によっては相互に矛盾する知識に基づいて、

多様な人間が多様な活動を行ってきた。

 

これらが積み重なって、秩序が形成された。

これが「自生的秩序」である。

 

自生的秩序として、しばしば、市場が念頭に置かれる。

それぞれの現場では、自身がもつ知識と情報にしたがって、

さまざまな活動が行われている。

その中で、価格が決まり、供給量が決まり、新しい製品が供給される。

 

詳細な計画で社会を動かそうとすると、

個人の行動を細部まで支配しようとすることになり、

人権が侵害される。

 

計画には、さまざまな選択肢についての決定が含まれるが、

政治家はこれらの選択肢についての議論には参加できず、

官僚や官僚の支配下にある専門家の発言権が大きくなる。

結果として、政治家は実質的に専門家に決定権をゆだねざるをえなくなる。

 

そもそも、日本のような人口の多い国で、

人間の行う活動を細部まで統制して社会を運営することは、

人間の能力を超えている。

 

役人が巨大な裁量権を持てば、

それで利益を得ようとする者がでてくる。

旧共産圏の計画経済は、結果の平等を目ざしたが、

非効率、専制、特権、腐敗しか生まなかった。

 

●個人責任追及の意義

 県行政は、国政に比べて、チェックが不足しているため、

役人と一部の政治家・業者が結託しやすくなっている。

 

個人がこれに逆らおうとすると、

あらゆる方法を駆使してその個人を葬ろうとする。

 

私は、土屋了介氏が解任された主たる原因は、

県立病院機構の赤字を減らしたことにあったと想像する。

経営を改善しようとすると、必然的に利権とぶつかる。

 

今回の事件で注目すべきは、

県知事の県立病院機構に対する権限、処分のための調査、処分の手続である。

 

調査委員会の規則が直前に決められたり、

対立する一方の当事者が処分を決めたり、

反論を検討することなく処分を決定したりとさまざまな不備が目に付く。

 

役人は主流派が形成され、書類が整えられると、

故意犯罪ともいうべきことに簡単にかかわってしまう。

 

私は亀田言論弾圧事件で、

行政訴訟ではなく、言論抑圧に手を染めた役人個人を訴えた。

 

一審は敗訴だったが、

役人の不正をただす良い手段であることは間違いない。

これまでの行政訴訟は、役人の違法行為に対する歯止めになっていない。

 

個人に対する刑事告発、民事訴訟を、

チェック・アンド・バランスの手段として活用できれば、

日本はもうすこし明るくなる。

 

●成熟した市民社会への道を阻むもの

亀田言論弾圧事件で、医学部の大先輩が、

応援メッセージを出してくれることになった。

メッセージを掲載してくれた医師向けサイトの編集長の要請もあり、

賛同者には、実名を出すことをお願いした。

 

実名を出せないと丁重に断られた方が多く、

名前を連ねたのはごく少数だった。

 

実名の話がでたところ、

ある医師から私を罵倒するメールが届いた。

この医師はそれまで好意的態度を示していたにもかかわらずである。

 

この医師を責めることはできない。

私を非難するのは日本人にとって伝統にのっとった正しい行為である。

 

鎖国日本における集団あるいは個人の生存戦略は、長年薫習され、

「閉鎖系の倫理」(大井玄『環境世界と自己の系譜』)にまで高まった。

 

日本人にとって、分を知り、足るを知る事が

倫理的に正しいことなのである。

 

個人の意見を社会に申し述べることは、

生存確率を引き下げることであり、

すなわち、忌避すべき悪である。

応援メッセージに名前を掲載することは、非倫理的であり、

その依頼主は非難されて当然なのである。

 

権力を批判するのは日本ではタブーである。

敢えて批判に踏み切る人間を社会は遠ざける。

これがタブーの説得力を高める。

 

批判するには、権力や権威に対抗できる

侠客的パワーが必要なのかもしれない。

逆に、そのパワーを持っているとすれば、

はみ出し者であり、それだけで悪とみなされる。

 

日本は衰退しつつある。

これを食い止めるには変化が必要である。

 

国連の国別幸福度調査では、

上位に成熟した市民社会を持つヨーロッパの国々が並んでいる。

 

日本人の幸福度は世界54位である。

 

失われた20年に、日本は富める国の座から転落した。

現状を打破するには、自由な発想による大胆な活動、

それを阻む規制に対する異議申し立て、

経営者のエゴの適切なルールによる(役人の裁量権を排した)制御、

時代から乖離した社会保障制度の改変が必要である。

 

専制をそのままにしている限り、

日本が変化することはなく明るい未来は望みようがない。

国民にも日本の停滞の責任はある。

 

 

 

 

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