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浜通りの街から・・終わりに

2018/06/16

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

福島県浜通り(竹林貞吉記念クリニック)
永井雅巳

2018年5月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

医師不足医学部卒業

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1955年に私は生まれ、

1980年に地方大学の医学部を卒業した。

 

今年で医師になって38年になる。

 

私の生まれた当時は、

医師国家試験が春と秋に年2回あり、

その両方足しても合格者数は約3500名であった。

 

以後、社会からの強い要請があり、

その数は年々増加することとなり、

私が大学を卒業した年には合格者数は年間約7000名となり、

2017年には約8100余名(1955年比2.3倍)の医師が誕生している。

 

一方、その絶対数の増加にも拘わらず、

地方での医師不足は一層深刻となり、

いわきのような地方都市では多くの混乱を招いている。

 

その理由の一因として、

(あまり議論の対象にはなっていないが、)

医師一人一人の生産性が落ちている事もある。

 

例えば、以前は、内科で賄っていたものが、

大学での臓器別診療が進み、

今の病院では消化器内科医、循環器内科医、呼吸器内科医など

多くの専門医が必要になった。

 

専門医は専門医以外の領域を診ない、

診ることができないからだ。

 

供給数の増加以上に、

アカデミズムの分化が早くなり、

需要を満たせない結果となっている。

 

病床数については1955年には全国で約51万床であったものが、

私の卒業年である1980年には132万床と倍増した。

 

以後は、病床規制政策により、

2017年には約156万床(約3倍)に留まるが、

一方、この間、自宅死と病院死の割合は1980年前ですでにクロスし、

国民の多くが病院で死ぬ事となった。

 

その理由は、

国民が病院で死ぬ方が

在宅で死ぬより良いと考えるようになったり、

在宅医療を支える介護力を失ったのが一因であるが、

時の為政者・官界・医療界が

そういう国民文化をリードしたのかも知れない。

 

この間、国民総医療費は1955年2338億円であったものが、

1980年10兆5千億円、2015年には42兆3,600億円(181倍)と

著しく増加した。

 

この間の医師数の増加(2.3倍)、

病床数の増加(約3倍)に比して、桁違いだ。

 

1983年当時の厚生省保険局長が

「医療費増大が国を滅ぼす」と論じた、

所謂、“医療費亡国論論”から、

行政府は、着々と

「医師数の増加が病床の増加を招き、

そのために膨れあがった医療費が国を滅ぼす」という

シナリオを描き、爾来、周到な計画を練り、

遂には、地域医療再生計画として、

病床数の削減。

 

それまでの入院医療から在宅医療へと舵を切った。

 

果たして、

このシナリオは本当に国民が望んでいるモノだろうか?

 

私が生まれてから60年、

私が医師となってから、たった30有余年の間の話だ。

 

あらためて、

社会資本としてのわが国の医療のゴールは

何なのだろうか?を問う。

 

果たして、

その事が今までに国民的議論とされたことが在ったのだろうか。

 

国際的には、北米の在り方、北欧の在り方、

それ以外のヨーロッパ諸国の在り方など、

その国民文化によりめざすゴールは様々だが、

果たして、今、描かれているわが国のゴールは、

国民的な議論を経て、コンセンサスを得たものだろうか。

 

宇沢弘文先生は、

経済に医療を合わせるのではなく、

医療に経済を合わせるべきであると喝破した。

 

今、それが誤った政策だとすれば、

いったい誰がそれをリードしてきたのだろうか?

 

問題とされている国民総医療費の増大には、

医師数、病床数の増大だけではなく、

それを政争の具とした政界、

それにより巨額の利権を得ている業界、

そして、それにより多くの権力を得ている一部、

為政者、企業者、アカデミズムの人達がいたのではないか。

 

得てして、政界、業界、アカデミズムはもたれ合うものであり、

一般国民の介入を許さないよう上手に策謀する。

 

今、次の時代に進む前に、そこの検証ないのか? 

歴史のネジを巻き戻そうとするだけでは、

いつまで経っても望むべき医療の姿は見えない。

 

次の世代には、今までと同じ、

あるいは別の医療を食い物にする輩が現れるだけのようにも思える。

 

杞憂だろうか・・。

 

この国でも、100年後、200年後の未来の時代、

子供やまたその子供の時代にどうあるべきかに関する

国民コンセンサスの醸成が必要に思える。

 

現場から見れば、

在宅医療の対象となる人達は現在大きく2つに分かれる。

 

一つは、行政の言う

“住み慣れた地域で最後まで”を希望する患者とその家族だ。

 

在宅緩和ケアを望む一部の担癌患者が希望する在宅での看取りは、

家族に介護力があり、

患者自身とその家族に覚悟があれば可能かも知れない

(現在の医療政策のプロパガンダ的役割を

演じさせられているような気がしないではないが・・)。

 

もう一つのグループは、

歩けなくなったために、

あるいは金がなくなったために通院することが困難となり、

在宅医療を余儀なくされている高齢者だ。

 

思っている以上にこのグループは大きい。

そして、批判を恐れず言えば、

この層は一般に社会や医療への依存度が高く、

急性期疾患を合併すれば、

自力で病院に行くことは困難なため、救急車を呼ぶことになる。

 

別の言い方をすれば、

現在のわが国に在るのは、介護力が豊富で、

比較的経済力もある一部のグループと、

介護するヒトも居なくなり(子供は都会に行った)、

老々介護、

あるいは独居生活を余儀なくされている介護力が乏しく、

比較的貧しい高齢者グループで、

後者がマジョリティだ。

 

日本の格差は思った以上に広がっている。

 

日本の一世帯数は、

50年前は5人を(じいちゃん、ばあちゃん、夫婦、子供)を越えていたが、

その数は経年的に減少し、今や2.3人程度だ。

 

そして、終末期に多くの社会医療資源を消費し、

結果、国民総医療費を増大し、

一部の為政者、業界、アカデミズムを潤しているのは、

この層かもしれない。

 

このグループの医療・介護をどうするのかという制度設計がない限り、

霞ヶ関の描くシナリオは多分うまくいかない。

 

そして、このグループを、

現在、人的資源の乏しい

(在宅)訪問医療・介護スタッフだけで担っていくのは、

あまりにも非効率的・非合理的である。

 

慣れ親しんだ自宅に住みたい想いは了解可能だが、

劣悪な生活環境で暮らすより、生活環境も整い、

医療・介護スタッフが常駐する

施設系に集まってもらうのが現実的だ。

 

問題なのは、

これらの有料老人ホームや

サービス付き高齢者住宅(サ高住)の数が十分でなく、

なおかつ入所のためには、かなりの費用を要することだ。

 

霞ヶ関も、実は、削減された病床や

それに関わる人的資源の施設系への転換を企図しているようだが、

これを進めていくためには、

まず国民への十分な説明と

費用補助などの政策誘導が必要のように思える。

 

因みに、私の関わる施設では、

本人やその家族の多くは、

その施設で可能なBSCを希望し、

医療機関への搬送希望は少ない。

 

このシステムを充実できれば、

高齢者層における過剰な医療費高騰の抑制や

急性期病院医療スタッフの労働疲弊の抑制が可能である。

 

そのために解決すべき課題は、

今まで医療費増大により

多くの利権を得、

互いにもたれ合ってきた業界・政界・官界をどうするか、

また今なお誤った時代認識により

専門医教育、育成を企てているアカデミズムをどうするかだ。

 

繰り返しになるが、在宅での医療は、

今までわが国の医療をリードしてきた大学や

市中の急性期病院で行ってきた医療とは全く別のモノである。

 

その最大のコンセプトは、

“人はいつか死ぬモノ”という(当たり前の事)を

受容したことから始まる。

 

私が医学部を卒業し、

20年間の大学病院、

その後の12年間急性期病院で行ってきた医療は何とかして、

そして、どうすれば、

患者さんを死なせないようにできるかを実行する医療であった。

 

実際、小児や青・壮年期の造血器腫瘍に対して、

新しい治療戦略である幹細胞移植により多くの人が長期生存、

社会復帰できるようになった。

 

また、内視鏡手術、

ダヴィンチによる低侵襲手術の発展や、

遺伝子診断法、それに合理的にマッチした分子標的療法、

感染症対策、救急医療の進歩は、

多くの患者とその家族に僥倖をもたらした。

それを否定するつもりは毛頭ない。


ただ、それでも、

やはり人は必ず死ぬことを在宅医療は教えてくれている。

 

今までこの国の医療は恰も不老不死の薬を求めるように、

其処に多くの資源を投入してきた。

 

結果、業界が潤い、多くのヒトや業界がそこに集まった。

 

誤解を避けるために繰り返すが、

このような進歩主義的な医療を全て否定するつもりはないが、

(少なくとも今は)人はいつか(概ね100年だ)必ず命を失う。

 

その事を受容できた時に、

個々、人の持つ尊厳をリスペクトできる社会を創れるような気もする。

 

健康寿命と平均寿命の間は、

畢竟、死に向かう医療である。

 

その期間をいかに意義深く、

限られた資源の中で、

いかほどの投資を、どこに行うか、

未来を見据えた丁寧な議論が必要に想う。

 

古代中国では権力を手にし、

栄華を極めた秦の始皇帝が、

やがて己の不老不死を求め、

徐福に蓬莱の国へ行き仙薬を持ってくるように命じた。

 

始皇帝に因る不老不死の薬を作ろうとする試みは、

やがて水銀を使った丸薬を産み、

それを飲んだ始皇帝は命を失うこととなり、

その国も滅んだことが伝えられる。

今から2300年前の話だ。

 

いわきの街は面白い。

古いモノと新しいモノ、

古くから居たヒトと新しくこの街に来た人、

富むヒトと貧しい人が混在し、

日本あるいは世界の凝縮した縮図がここに在る。

 

幸い、この街には、私の前任地の人口当たり4割、

単位面積当たりにすると1割も満たない医師しか居ない。

 

期待してくれる人が住み、

そこで得るインプットは極めて多い。

 

そして、何より自然が美しく、

未来へのエネルギーを感じる。

 

アカデミズムに毒されることなく、

医師として本例の期待される場所で尽くすことを喜びとする多くの医師が、

そのキャリアの一部をこの街で送られ、

何かを感じられる機会を持たれることを期待する。(了)

 

 

 

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