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個別指導、余儀なくさせるもの

2018/10/06

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

長崎県島原市 山崎産婦人科医院
山﨑裕充

2018年9月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

厚生局個別指導

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦個別指導の実際

個別指導の実施通知は

厚生労働省の地方厚生局事務所から届きます。

 

通知書の中には、

健康保険法第73条の規定により

個別指導が実施されるとあるだけで、

同法第73条に何が記載されているかについては分かりません。

 

調べてみると、同法第73条には、

『保険医療機関は療養の給付に関し、

保険医は健康保険の診療に関し、

厚生労働大臣の指導を受けなければならない』と

指導の制度が定められており、

指導を受けるのは保険医の義務となっていることが分かります。


更に、同法第73条の指導について

具体的な実施方法を定めたものが、

厚労省保険局長通知による指導大綱です。

 

それには指導方針として、

『保険診療の取扱い、

診療報酬の請求等に関する事項について

周知徹底させることを主眼とし、懇切丁寧に行う』とあります。

 

しかし、実際の個別指導では、

診療録(カルテ)や帳簿書類について質問や検査が行なわれ、

診療報酬の算定要件の不備を指摘された場合は、

指摘された患者分のみではなく、

指摘を受けた事項について

全患者分のカルテを対象に1年間まで遡って自己点検し、

自主返還という名の返還金の支払命令が通知されます。

 

個別指導では、指導を受ける義務より、

検査や調査を受ける義務があるようにさえ錯覚してしまいます。

 

これまで多くの保険医が、

個別指導や監査を苦にして自殺を図っています。

 

中でも忘れることのできない痛ましい出来事は、

平成5年におきた富山個別指導事件です(※1)。

 

当時37歳の内科医は過疎地の山間部にあって往診に飛び廻り、

それが故に、レセプトの「高点数」で

個別指導の対象医療機関に選定されたものと思われます。

 

当時、個別指導に立ち会った地元の医師会長の談話によれば、

「行政の質問や意見も居丈高で、大声を出し、

2時間怒鳴りっぱなしという状態で、

まるで戦前の特高かと思わせるような異常な雰囲気だった」。

 

「指導を受けた先生がいちばん堪えたのは、

ひどく怒鳴られたことと、納得のいかないまま

自分で返還金の査定事務をさせられたことのようだった」とあります。

 

♦個別指導と行政指導

富山個別指導事件は、

平成6年に国会で制定された行政手続法にも影響を与えました。

 

健康保険法第73条の指導は、

行政手続法に規定されている行政指導です。

 

行政手続法第2条6項には、

行政指導について、

『特定のものに一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言、

その他の行為であって処分に該当しないものをいう』と定めています。

 

更に、行政手続法は行政指導について

以下のように規定しています。

 

『行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ

実現されるものであることに留意しなければならない』(同法第32条1項)、

 『行政指導に携わる者は、

その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、

不利益な取扱いをしてはならない』(同法第32条2項)、
『行政指導に携わる者は、

当該権限を行使得る旨を殊更に示すことにより

相手方に当該行政指導に従うことを

余儀なくさせるようなことをしてはならない』(同法第34条)

とあり、行政指導では行政による強要や強制を禁じています。

 

自主返還についても保険医は、

診療報酬の請求に改善がみられないとして

再指導や監査になることを避けるために、

余儀なく返金に応じており、

これは行政手続法第34条の行政指導の条項に反しています。

 

個別指導には、指導と監査、閲覧と検査、自主返還と返還命令、

などの任意性と強要性の二面性が混在しており、

何が任意で何が強制なのか、

何が要請で何が命令なのか分かりにくいものになっています。

 

国会の審議を経て制定された行政手続法と、

国会の審議を経ない厚労省独自の法令である指導大綱との間で、

法律間の整合性がとれていません。

 

行政指導と指導大綱の法的趣旨が合致していないのは、

健康保険法第73条を根拠法とする「指導」に、

後述する健康保険法第78条に法根拠をもつ「監査」の手法が

厚労省保険局によって独自に付け加えられているからです。

 

♦個別指導の中断と監査

指導大綱や厚労省保険局医療課長通知や医療指導監査室長事務連絡により、

『正当な理由がなく個別指導を拒否した場合は、監査を行う』や、

『個別指導で診療録の全部又は一部の持参しかない場合、

あるいは診療録等の閲覧を拒否した場合は、

指導ができないので指導を中断して監査を行う』という運用方針が示されており、

担当行政官の判断で個別指導を中断して監査に移行できるようになっています。

 

監査の先には、行政措置として

保険医療機関の指定や保険医の登録の取消処分があります。


国民皆保険制下において、

保険医療機関指定取消処分や保険医登録取消処分は即、

医業の廃業を意味しており、

指導から監査への切替えは保険医にとって重大な不利益であり、

最悪の場合、死活問題ともなります。

 

つまり、個別指導での監査への移行は、

事実を把握して問題のないことを保証するという

監査本来の機能に加えて、

行政の要求に保険医を余儀なく従わせるための威嚇として

機能しています。

 

これは、刑事事件で言えば、

容疑者に対してまずは任意同行を求め、

これを拒めば令状を直ちに出して

強制力のある令状逮捕を行う構図と似ています。

 

個別指導では刑事事件の容疑者とは違って、

指導の時点で必ずしも嫌疑があるわけではなく、

行政による刑事司法の真似は、

保険医を始めから犯罪者扱いにして人格の尊厳を脅かす惧れがあります。

 

♦健康保険法第73条と第78条

厚労省は個別指導の法的根拠となっている

健康保険法第73条(指導)には、

質問検査権は付与されていないと言明しています(※2、※3)。

 

厚労省が言うまでもなく、

質問検査の規定は健康保険法第73条にはなく、

健康保険法第78条に明確に規定されています。

 

すなわち、同法第78条には、

『厚生労働大臣は、……診療録その他の帳簿書類の提出若しくは提示を命じ、

……出頭を求め、……質問させ、……診療録、

帳簿書類その他の物件を検査させることができる』と記載されていますので、

質問検査権を持つ監査は同法第78条が根拠法になっています。


問題なのは、質問検査権のないはずの

同法第73条の実施細則である指導大綱には、

『明らかに不正又は著しい不当が疑われる場合にあっては、

指導を中止し、直ちに監査を行うことができる』(第7の1項2 ④)との条文があり、

指導に質問・検査権のある監査がリンクされていることです。

 

同じように、同法第78条の実施細則である

監査要綱の選定基準(第3の3項、4項)の方にも、

『度重なる個別指導によっても

診療内容又は診療報酬の請求に改善がみられないとき』や、

『正当な理由がなく個別指導を拒否したとき監査』とあり、

指導と監査はそれぞれ根拠法が別個になっているにも拘らず、

個別指導の中でこの二つは連動して、

一体化した運用がなされています。


73条(指導)で呼び出しておいて、

実際には78条(検査や監査)をやるということであれば、

痛くもない腹を検査された保険医は、

個別指導を受けた後で行政に騙されたと感じるでしょう。

 

「指導の中に監査なし、監査の中に指導なし」の根拠法に則って

指導と監査が峻別され、一体運用がなされないように

指導大綱と監査要綱が改正されれば、

個別指導の入口と出口が違うことによる人権侵害は抑止され、

名実ともに個別指導は

行政手続法の制定趣旨に則った行政指導となります。

 

♦個別指導と診療録の閲覧

個別指導では、

行政の指定した20名の患者カルテを持参するように通知されます。

 

通知書には、

「別途指定する患者名簿をFAXするにあたり、

指導日の4日前の15時頃に10名をFAXし、

指導日の前日の15時頃に残り10名分をFAXする予定ですので、

よろしくお願いします」となっています。

 

表現はあくまでも要請の形になっていますが、

通知された診療録を持参しなければ

個別指導は中断され監査の対象になりますので、

実質的には命令です。


勿論、患者名簿とは、

持参すべき診療録(カルテ)の患者名のことです。

 

保険医は指導を受ける法令上の義務はあっても、

診療録を外部に持出したり、

閲覧させたりする法令上の義務はありません。

 

それどころか、刑法第134条(秘密漏示)第1項には、

『医師、薬剤師……の職にあった者が、

正当な理由がないのに、

その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、

6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する』と

守秘義務が定められています。

 

診療録は患者と医師の信頼に基づく

特別な関係の枠内において得られた情報であり、

公益のみならず医師の職業倫理の基本でもあり、

診療録の提出や開示には特別な扱いを必要とします。

 

刑法によって厳しく守秘義務が課されている

診療録について記述されている箇所は、

指導大綱関係実施要領の中にあり、

『指導は、……診療録その他の関係書類を閲覧し、

個別に面接懇談方式により行うこととする』(第7の3項1)とあります。

 

指導大綱関係実施要領は

健康保険法第73条に基づく実施法令であり、

同法第78条に基づく実施法令は

監査要綱関係実施要領となっています。

 

診療録について提出や提示を命じ、

それらを検査できるとする規定は同法第78条にありますが、

同法第73条にはその規定はありません。

 

健康保険法に基づくならば、

「診療録の閲覧」は監査要綱関係実施要領の方に

記述されるべきなのにそちらには無くて、

指導大綱関係実施要領の方に記述されているのは道理に合いません。

 

更に、同法第73条には検査権がないので、

「診療録の検査」は「診療録の閲覧」と書き替えてあります。

 

厚労省は、医師の守秘義務を無視して、

手(実施要領)を替え品(検査)を替え、

なんとしてでも個別指導と診療録の持参をセットにしたい考えです。


行政の要求する患者カルテの外部持ち出しや開示に応じるためには、

刑法第134条でいう「正当な理由」がなければなりませんが、

個々の個別指導において

指導対象として選定された理由を行政は決して明らかにしませんので、

「正当な理由」が何なのか、

カルテの持参や開示を求められた医師側には

そもそも判断ができません。

 

行政はあたかも患者からの情報提供や

通報に基づくものが

個別指導の選定理由であるかのように仄めかしていますが、

その情報の出処や詳細は知らされず、

信憑性も明らかではありません。

 

情報提供等による指導は少数の特殊な場合であって、

平成28年度の長崎県下の指導件数を参照しても、

圧倒的に「高点数」が理由となっています(※4)。

 

♦個別指導と高点数

高点数基準による個別指導の選定は、

指導大綱関係実施要領に基づき、

都道府県単位で地方厚生(支)局が行っています(※4)。

 

県下の全診療所(病院については別の基準があります)を

内科や外科、産婦人科など12の類型に区分して、

外来レセプト1件当たりの平均点数が県の平均点数の1.2倍を超え、

かつ類型区分ごとの総数の上位より

概ね8%に該当するものを「高点数医療機関」として、

まず「集団的個別指導」の対象に選定されます。

 

更に翌年度の実績をみて、

「継続して高点数」であった

医療機関の概ね半数を個別指導の対象として選定されます。

 

「高点数」はレセプト1件当たりの平均保険点数が高いことを

統計的に示しているに過ぎず、

保険診療における「不正」とは何の関係もありません。

 

従って、高点数基準は刑法の守秘義務を解除する

「正当な理由」になるとは思われません。


行政も高点数基準がカルテ開示の

「正当な理由」にならないことを分かっているからこそ、

個別指導の選定理由を曖昧にして明らかにしないのです。

 

高点数基準によって、

あるいは選定理由の非開示によって個別指導を行うのであれば、

カルテの持参を求めず、返還金を求めず、

そして検査や監査もない、

健康保険法第73条と行政手続法に基づく

行政指導が行われるべきでしょう。

 

もし、患者や保険者・審査機関からの情報提供や通報により、

保険診療における「不正」が疑われて実施されるのであれば、

それは行政指導ではなく監査です。

 

監査であっても保険医の人権は守られなければなりません。

 

カルテ開示のための「正当な理由」を開示してカルテの持参を求め、

保険医の人権を守る適正な手続きを踏んでから、

健康保険法第78条による監査が実施されるべきでしょう。

 

監査において、何をもって「不正」と判断するのかも、

明確性を確保する観点から、

保険診療上の不備などから生じたものまで

「不正」に組み込まれるのではなく、

療養の給付が実際に行なわれたか否かの一点で判断されるべきです。

 

♦個別指導と秘密漏示罪

刑法134条の秘密漏示罪の当事者は、

カルテを閲覧する行政側にあるのではなく、

個別指導の中断や監査を回避するために提出や

開示に応じた医師側にあります。

 

行政側は中断や監査をちらつかせておいて、

あくまでもカルテを持参して差し出したのは医師側であり、

行政側は自主的に提出されたカルテを

閲覧しただけというスタンスをとっています。

 

個別指導の現場では、

「同じ医師である指導医療官が患者カルテを閲覧するのであるから、

カルテ開示に応じた医師は守秘義務違反にならない」と言う人がいますが、

刑法134条は患者の秘密を漏らすなといっているのであって、

この場合、カルテを見せても守秘義務違反にならないのは、

保険医と指導医療官にとって共通の患者の場合に限られます。


また、地方厚生局の行政官は、

個別指導の冒頭に持参されたカルテを取り上げ、

「自分達も公務員法によって守秘義務がある」と

カルテ開示とは関係のないことを言いますが、

医師の守秘義務は

「カルテを外部に見せたらいけない」という意味であって、

公務員の守秘義務は

「見た内容を外部に漏らしたらいけない」という点で違います。

 

刑法134条の秘密漏示罪は立派な犯罪です。

正当な理由がないのに、

行政官がカルテの提出や提示を求めれば、

保険医をそそのかして犯罪を実行させる教唆犯(刑法61条1項)となり、

個別指導の現場で行政官がカルテを取り上げて閲覧すれば

幇助罪(刑法62条1項)となり、

差し詰め、カルテ開示に応じた保険医は実行正犯となるでしょう。

 

「不正」がなくても個別指導が終われば、

医師は刑法134条違反の犯罪者になります。

 

♦個別指導と保険医の人権

平成23年には新潟市内の46歳の開業医が、

個別指導を受けた10日後に自殺しています(※5)。

 

個別指導の対象となった医療機関名を当局は公表しませんし、

個別指導の実施も、あたかも悪いことをしているかのように、

密室の中で誰にも知られず関係者だけで寂然と行われます。

 

個別指導後の保険医の自死は報道されないものも多く、

実際にはもっと多いのかも知れません。

 

平成26年には、

人権に関わる由由しき問題として日本弁護士連合会により、

「……指導・監査を契機とした保険医の自殺例が

少なからず存在している実情などから考えれば、

指導・監査においても、

適正な手続的処遇を受ける権利が保障されなければならない」との

32頁もの指導・監査制度の改善に関する意見書が発表されています(※6)。


厚労省は、自ら、保険医を登録させ、

自ら、療養担当規則等のルールを定め、

自ら、指導大綱・監査要綱を執行し、

自ら、自主返還措置や保険医登録取消処分を行うという、

一局に集中した強大な権限を持つが故に、

保険医の人権を守る為に、

法律で定められた手続が適正であることが強く求められます。

 

保険医を個別指導から逃れられないようにしておいて、

余儀なくさせるものが保険医の人権を侵害しています。

 

指導と監査のリンク、

個別指導と診療録持参のセットは、

早急に切断されなければなりません。

 

現状の個別指導が続くことによって、

保険医の生命までも自主的に差し出されることがあってはなりません。

 

(脚注)
※1「個別指導で何が行われたのか」 

若き開業医は初めての個別指導を受け、死を選んだ…、
富山県保険医協会、1993年10月29日

http://toyama-hok.com/kobetusidoujiken


※2「健保法73条(厚労大臣の指導)に検査の権限はない」、

全国保険医新聞、第2248号、2003年6月25日

http://bit.ly/2MyJG9W

 

※3「個別指導で医師の人権侵害阻止」、

埼玉の開業医、医療維新/m3.com 2017年8月16日

https://www.m3.com/news/iryoishin/551107

 

※4「個別指導 医科47・歯科31医療機関を予定」、

長崎保険医新聞、第491号、2018年6月10日

http://bit.ly/2wfjebb

 

※5「46歳開業医が自殺、個別指導が原因か」、

医療維新/m3.com 2011年10月25日

https://www.m3.com/news/iryoishin/143456

 

※6「健康保険法等に基づく指導・監査制度の改善に関する意見書」、

日本弁護士連合会、2014年8月22日

 

 

 

 

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