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原発事故の後遺症とそのリハビリ;福島県・浜通り訪問で考えたこと(2)

2019/05/04

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

NPO医療制度研究会・理事、元・血液内科医
平岡 諦

2019年4月16日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

原発事故後遺症

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●国策犠牲者と憲法学者・鈴木安蔵:

2011年3月11日から1か月たった時点で、

私は「長期化により人権問題・国際問題となってきた福島原発事故」を

書いた(MRIC Vol.118, 2011)。

 

周辺住民の人権問題に関する一部を再掲する。

 

「政府、原子力委員会は、

周辺住民の現在の生活の質の向上を図るとともに、

将来の生活設計に対する情報を提供しなければならない。

そのためにはEPZ内の土地の汚染状況を測定し、

住民がもとの地域に戻れそうなのか、

あるいは移住しなければならないのか、

その予測を出来るだけ早期に示すことだ。

(中略)個人の将来の生活、つぎの世代の生活が懸かっているのだから」。


すなわち、周辺住民が自己決定できるように情報を出すことが

政府、原子力委員会の責任であり、

早期に出さないことは周辺住民の人権問題であることを、

事故後1か月の時点で指摘したのだ。

 

避難が数年に及ぶと、

生活の基盤が避難地で築かれることになる。

いまさら生活基盤を戻せない。

 

除染が進み「避難指示解除準備区域」となり、

さらに放射線量からは帰還が可能となっても、

社会生活が成り立たなければ住民は帰還できない。

 

元の住民が一斉に帰還しなければ、

すなわち元の住民が元のコミュニティごと帰還しなければ、

社会生活は成り立たないだろう。

 

時間が過ぎるほどに、

元の住民にとって帰還は困難になるのだ。


実際にこのような地域を訪問した。

住人の姿は皆無といっていいほど見られなかった。

 

除染作業後のためか、

住宅の庭は異様と思われるほど綺麗に整頓されていた。

 

道を隔てた隣が「避難指示解除準備区域」であるところも通った。

やはり異様な雰囲気を感じる。

とても帰還できるとは思えない。

 

避難指示解除が補助金打ち切りのために行なわれているのでは、

という言葉も聞かれた。

 

元の住民は、

原子力発電という国策によって人生設計を狂わされた人たち、

あるいは人生設計を立てられなくなった人たちと言えるだろう。


全村民避難となった双葉郡飯館村に隣接し、

相馬市南東の端にある玉野地区の酪農家が、

新築の堆肥舎の壁に「原発さえなければ」などと残して自殺した。

 

やはり国策の犠牲者の一人だろう。

この地区は飯館村とちがい、

避難指示となるほどの線量ではなかった。

 

しかし農作物の出荷制限の対象となり、

特に、乳製品は直ちに出荷停止となった。

 

幸いにも、相馬市全体としては

放射能による直接被害は少なかった。

 

しかし、「相馬市の酪農家」の自殺が原発事故との関連で

センセーショナルに報道されたことにより、

「相馬市全域が風評被害に」悩まされることになった。

相馬市民全体が国策の被害者と言ってもよい。


憲法学者・鈴木安蔵(1904-1983)は福島県南相馬市小高区の生まれ、

生家は今も古びた風格のある屋敷として、

常磐線・小高駅前の本通りに残っている。

 

通りに面した「林薬局」も屋敷奥の蔵も無く、

ともに更地になっていた。

 

ポツダム宣言を受け入れ、

新しい憲法制定が急務となった時、

学者、ジャーナリストなど民間人が「憲法研究会」を作り

「憲法草案」を起草した。

 

鈴木安蔵はその中心人物であった。

 

「憲法草案」の特徴は、

(1)国民主権の明示、(2)言論の自由・労働の権利・生存権の保障・男女平等など、

基本的人権を網羅的に規定したことだ。

 

GHQや日本政府に提出され、

その大筋が「GHQ草案」に取り入れられ、

日本の国会で審議され、一部修正後決定された。

こうして出来たのが現在の日本国憲法だ。


小高区は、1F事故後に「警戒区域」となり立入り禁止、

その後「避難指示解除準備区域」となり、現在は解除されている。

 

小高駅前に屯していた青年たちに問うてみたが、

鈴木安蔵を知る者はいなかった。

 

主権在民(民主主義)、

生存権の保障など基本的人権を明示した日本国憲法の下、

政府は国策の被害者ひとりひとりの人権回復を図る義務を有する。

 

政府にその義務を十分果たさせるためにも、

鈴木安蔵をもっと顕彰しなければならない。

 

●風評被害と被曝調査:

風評被害を含む、東日本大震災との闘いは、

署名入りで頂いた立谷秀清・相馬市長の

『震災市長の手記』(近代消防社発行、2017)、

また、立谷市長が理事長を務める相馬中央病院を紹介して頂いた

上昌広先生の『復興は現場から動き出す』(東洋経済新報社発行、2012)で

よく知ることができる。

 

放射能には「正しく恐れ、賢く避ける」こと、

そして風評には外部、内部被曝の実際を示し続けること以外に

対策は無いだろう。


話は相馬入りの日に戻る。

徐行運転で予定より遅れて着いた相馬駅には、

相馬中央病院の星事務長が待っていて下さった。

 

病院に案内されたのが昼時になり、

まず昼飯をごちそうになった。

 

刺身、天ぷら、カレイの煮付けなど

近海の魚介類のオンパレードであった。

ホッキ貝の炊き込みご飯(ほっきめし)は初めての経験で、

本当に美味だった。


鱈腹頂いたところで病院を案内してもらった。

そこには、とくに子供たち全員の内部被曝調査を行うべく

相馬市独自でいち早く購入した、

キャンベラ社製の最新式ホールボディカウンターがあった。

 

たまたま運転中であったので、

約2分間の計測を経験させてもらった。

 

測定器の前に立っているだけだ。

内部被曝は感度以下であった。

 

案内の後、ご挨拶をした標葉院長からは事故直後、

とくに情報が限られた時期での南相馬総合病院での

患者対応の大変であったことなどをお聞きした。

 

その後市中へ出て、

孤独死対策としての「相馬井戸端長屋」、

津波対策としての職住分離の「漁労倉庫」などアイディアあふれる復興施設や、

地震による地盤沈下で

松川浦より標高の低くなった地区での排水のためのポンプ場など、

星事務長に案内して頂いた。

多忙の中、長時間割いて頂き厚くお礼申し上げる。

 

●第5回エル・システマ こども音楽祭 in 相馬:

今回の相馬訪問の「ご縁」を頂いたのは、

エル・システマ ジャパン代表の菊川穣氏である。

 

エル・システマは、

1975年にベネズエラで、

経済学者で音楽家のホセ・アントニオ・アブレウ博士によって、

「音楽の社会運動」の名の下に設立された、

児童、青少年のための音楽教育プログラムである。

 

モットーは「奏で、歌い、そして、困難を乗り越えろ」であり、

以下の三つの理念を掲げている。

 

(1)すべての人が経済的事情を懸念することなく、

  音楽、芸術にアクセスできることを保証する。

 

(2)集団(特にオーケストラ)での音楽、芸術活動を通じ、

    コニュニケーション能力を高める。

 

(3)社会規範と自己の個性の表現を両立することを、

    音楽体験を通じて学ぶ。

 

菊川氏は、ユネスコ、ユニセフを経て、

日本ユニセフ協会勤務中に東日本大震災が起き、

その緊急支援本部チーフコーディネーターとして

支援活動の指揮を取った方だ。

 

2012年3月に一般社団法人エル・システマジャパンを設立、

代表理事に就任し、

2012年5月には相馬市と協定調印し活動を開始していた。

 

病気、障害の子供たちにも

支援活動の輪を広げたいとの氏のお気持ちを聞いて、

東京にいる友人、KM氏を紹介させてもらった(今回、相馬で合流)。

 

その「ご縁」で実現したのが、

菊川氏の活動成果である「こども音楽祭 in 相馬」への参加である。

 

公演の休憩時間に立谷市長にご挨拶させて頂いたが、

誤解を与えてしまったようだ。

 

風評被害にご苦労された、

そして、現在もされているだろう市長の気分を害したようで、

重々お詫び申し上げる。


原発事故の後始末は、

デブリの最終処分を含め、

今後数十年、いやもっと長い時間かかるだろう。

 

現世代の失敗が、将来世代の負担となっていくのだ。

東日本大震災から「奏で、歌い、困難を乗り越えろ」だけでなく、

「奏で、歌い、困難を乗り越えていって欲しい」の願いを込めた、

全国の児童、青少年に対しての支援が必要だ。

これはまさに「音楽の社会運動」だ。

 

●さいごに:

お会いした方々は、相馬市や双葉郡などと違っていても、

皆さん生まれ育ちが浜通りであった。

 

お一人お一人にそれぞれの郷土愛の強さを感じた。

ただ、地震・津波と原発事故という、

自然と人工の二重の脅威に立ち向かってこられた浜通りの方々の経験は、

人類全体にとって初めてのことだ。

 

そのとてつもない経験を世界全体の将来のために生かして欲しいものである。

それに少しでも関わることができればと思う。

 

実は、このような思いを市長にお話ししようとしたところ、

言葉足らずで誤解されてしまったようなのだ。

 

大いに反省するとともに、

通じなかったことは残念でもある。

 

いつかまたお話しできる機会が与えられることを切望している。

 

以上が福島県・浜通りを訪問して感じたことだ。

 

(1)『大熊町史』第4章電力「原子力発電所用地の立地調査」、1985,  p.838-839。(Wikipedia「福島第一原子力発電所の用地取得」より)


(2)東京電力の『報告書本編3.4津波評価について(1)及び(2)』


(3)竹田恒泰著『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』、小学館、2011。

   本書は素晴らしい反原発の書であり一読をお勧めする。

   ご存じのように著者は明治天皇の玄孫、

   父上はすでに退任を発表されたJOC竹田恒和会長である。

   片や反原発、片や復興五輪、因縁めいたものを感じる。

 

 

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