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社会的共通資本と都市 宇沢弘文の残したもの  ~ジャカルタ チキニ地区訪問記~

2016/10/13

 

*当内容はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

宇沢国際学館
占部まり

2016年10月13日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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東京大学大学院新領域創成科学研究科教授の

岡部明子先生のプロジェクトの見学に

インドネシアの首都ジャカルタのチキニ地区の超過密スラム街に行ってきました。

 

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慶応大学の石川初先生の研究室と

インドネシア大学の合同プロジェクトです。


今回はプロジェクトの初年度に

チキニで生活していた学生さんの結婚式をということで、

簡易結婚式場のコンペがありました。

 

地元の人々の協力を得てほぼ1日で素晴らしい式場が作られました。

プロジェクトメンバーと地元の人々が

信頼関係を築いていく過程に思いを馳せ胸が熱くなりました。

 

チキニのなかので医療方面で何か要請があったわけではないのですが、

岡部先生とのご縁で参加させていただきました。そのご報告です。

岡部先生と父、宇沢弘文との関係は

20年ほど前にまだ岡部先生がバルセロナから戻って間もない頃から始まりました。

 

社会的共通資本と都市のプロジェクトで

ヨーロッパの都市の調査に行った際に

バルセロナやビルバオを案内していただいたのが岡部先生でした。

父が大好きだったベレー帽の元祖は岡部先生に頂いたものです。


本当にひょんなことから、

とある会合で岡部先生のお隣に座ることとなり

お話しさせていいただきました。

そこから話が進み、一度ジャカルタにご一緒したいとお願いし、

今回同行させていただくこととなりました。

岡部先生は建築家でいらして、

このチキニのプロジェクトは2011年から取り組まれています。


急成長を遂げるインドネシアのジャカルタの街の中心に

カンポンと言われる集落が残されています。

 

その一つのチキニ地区は40平方メートルに

4人が居住しているという超過密スラムです。

と聞くとかなり悲惨な状況が想起されるかもしれませんが、

住民たちはその生活を謳歌しているように見受けます。

 

かつて線路であった部分が道となり

その両脇に所狭しと商店と家が立ち並んでいます。

道幅は1m半ほどで、人がすれ違うのがやっとですが、

その道をバイクや自転車が通り過ぎていきます。

狭いので、スピードを出すことはできません。

その道を遊び場として、子ども達が走り回っています。

 

2歳程度のある程度しっかり歩ける子から小学校低学年の子までが、

なんとなく1グループになっています。

 

小さな子どもの面倒を見ながらいろいろな遊びをしています。

学校にも通っています。

 

収入に関してもチキニ内で生活する分には問題ないようで、

子ども達が気軽に行商のおじさんからお菓子などを買っていました。

 

ダウン症の子が、何気なくそこにいる姿を見かけました。

他の子どもたちについて回ることもありますが、

自分の興味のあるところにはそのまま自分のペースで立ち止まり

観察していたように見えました。

 

短時間の出会いでしたが、そのままでそこに生きている、

受け入れられているという印象を受けました。

住民の多くが、ジャカルタで働いています。

ジャカルタの近郊から働くために出てきて

チキニ内に家を借りている人もいます。

 

特に川向こうに大きな病院ができたため、病院での雇用が多いのです。

日本でいう看護助手のような仕事から、

夜間の付き添いまで様々な職種があるようです。

 

その他ホテル、企業の清掃や警備といった仕事や、

屋台や行商といった小売業、

オジェックと言われるバイクタクシーなどをしているようです。

 

ジャカルタ市内はビルの建設がそこかしこで行われていますし、

ビルが立ち上がれば清掃や警備の仕事もできます。

安価な労働力を提供するという形で

カンポンと言われるスラム街の住人が

ジャカルタの急成長を支えていると言ってもいいでしょう。

カンポンの歴史はオランダ統治以前から始まっており、

長年の歴史を基盤に生活のコミュニティーが形成されており、

それがかなりうまく回っているようなのです。

 

老人は路地に面した玄関のドアのない部屋でテレビを見たり、

道端に座ったりして過ごしています。

 

頻繁に人が行き来しているので、

プライバシーはありませんが、

人の目が自然と行くような環境で過ごしています。

 

例えば足が不自由になっても気軽に声をかけて、

用を足してもらうことができるのです。

 

小さいエリアですので屋台の食事を買ってきてもらうのも

そんなに手間ではありません。行商も回ってきます。

認知症の症状が出ているような人でも

道端で座っていることで特に問題はありません。

地域全体で高齢者を受け止めている、

そんな意識もなくただ自然と老いた人々がそこにいるという感じがします。

 

訪問マッサージをして6人の子どもを育てるシングルマザーは

一人暮らしの広めな部屋に住む

70代の少し足の不自由な”おばあちゃん”と同居していました。

 

家事や食事のお世話の代わりに広いところに住まわせてもらい、

さらには仕事で遅くなっても

大人が子どもと一緒にいてくれる安心感を得ているようでした。

 

狭いチキニ内ですから、このようなマッチングが可能になるのでしょう。

お互いにしてあげている、してもらっているという感覚ではないようでした。

血のつながりはないのですが”family”だから当然と言っていました。

いろいろな問題を抱えている地区ではありますが、更地にし、

綺麗なアパートとし住を確保するだけでは、

この有機的なつながりは破壊されてしまいます。

 

このつながりを尊重し、

より良い環境とする魅力的なものを住民に提示し、

住民自らが動いていくものを岡部先生たちは探しています。

もちろんそのまま日本の街で適用できるわけではありませんが、

地域に住まうということに大きな示唆を与えてくれる街でした。

さらに、病院の機能を病気を治すという機能のみに限定せず、

周囲に与える影響も考えるべきだと説いていた、

父の社会的共通資本としての医療の役割、雇用を生み出し

周辺地域の安定をもたらすという病院の重要な一面を見せてくれた街でした。

ちなみに岡部ゼミの学生さんがチキニ内に住んでいます。

今のプロジェクトは公共トイレをつくり

その上を賃貸住宅にしその費用でトイレをきれいにするというものです。

 

上から目線で作るのではなく

そこに視線の高さを同じにして必要なものを探っています。

日本で大きな不自由もなく暮らしていた学生さんたちがこの地に溶け込み、

多くを学ぼうとしている姿にも感動しました。

 

ここで大きな学びを得ることはまちがいなく

それをいろいろな局面で活かすことができるでしょう。

エクアドルの被災地の復興支援のプロジェクトが始まっています。

父が、教育、都市、医療、格差など

様々な分野に対して発言を繰り返してきたのは、

人びとがゆたかに暮らすためにはそれらすべてが、

有機的につながり互いに影響していることを伝えたかったのだと

今更ながらに実感できた旅でした。

占部(宇沢)まり 医師 
      東京慈恵会医科大学卒業
      メイヨークリニック ポストドクトラルフェロー(1992~4年)
      地域医療の充実を目指し内科医として勤務
      2014年宇沢弘文死去に伴い、宇沢国際学館 取締役に就任
      2016年3月国連大学にて国際追悼シンポジウムを開催

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