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家族の支えで看護と学びの両立を目指す

2016/12/05

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

看護師
鵜飼由加里

2016年12月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
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私は精神科で働く看護師で、

20年の看護師歴になるが、ここまでの道のりは凹凸だった。

 

何度か離職も経験したが、

いくつかのきっかけで看護師として復帰でき、

現在の職場では充実した毎日を過ごしている。


昨年から今年にかけて、

通信教育で学士号を取得したのをきっかけに

勉強へのエンジンがかかり、

この10月から通信制の星槎大学大学院に進学した。

 

なぜ勉強に注力しているかを考えると

臨床現場の経験からふと思いつく疑問に由来するのだと感じる。

 

看護師のキャリアパスも多彩になってきたが、

私の振り返りとこれからの目標について触れることで

看護師をしている皆さんや

これから看護師を目指す皆さんの参考になればと思っている。

 

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私の思春期は、自己の存在価値に思い悩むことばかりであった。

意を決して、高校時代に、

JRC部(ジュニア・レッド・クロス 青少年赤十字奉仕団)に入り、

その後部長として、ボランティア活動に明け暮れた。

 

学校の生徒に朝礼の時間に呼びかけ、

古切手を収集したり(マニアが買い取り換金される)募金活動を行ったり、

老人ホームの慰問、さらには市役所の協力の下で

(当時は個人情報に厳しくなく話を聞いて市役所の方が賛同してくれた)

一人暮らしのお年寄りへ「何かお手伝いできることはありませんか?」と

部員全員で手紙を書いたりして、

私自身の生きることの意味を求めて

『人のために何かをしなければ』としゃにむに頑張っていた。

 

振り返るとそれは人のためでもあったが自分自身のためであった。

そして当時の私は、自分で自分を好きになれなかったが、

今の私はあの頃の自分が愛しいと感じている。

赤十字とのご縁から、

関西の赤十字看護専門学校へ進んだ私は、

赤十字看護学生奉仕団の団長として、忙しい学生生活を送った。

 

そのためか勉強には打ち込めず、

看護の理想と現実に悩みながら、

なんとか専門学校を卒業し、看護師資格を得た。

 

そのあと入職した病院で勤務をするも

自分の理想とする看護師像が見つけられず、

看護師としてのプロ意識も持てないまま、

患者さんの死に直面することに耐えられず、

卒後2年で退職し、看護の道から遠ざかった。

その後、異文化交流を目的に、

オーストラリアで一年間ホームステイをしながら

ベビーシッターとして海外で働くオーペア留学をした。

 

私のホストファミリーは美容院を経営する明るいイギリス人夫婦であった。

自分は何のために生まれたのかという問いに、

この海外生活は、「民族が違えど人は皆、笑い、泣き、生きている」ということを

漠然と教えてくれた。


現実逃避ともいえたこの旅から帰国し、

高齢者中心の療養型病院で働き始めた。

 

看護学生の頃に、教師が読んでくれた、

ルース・ジョンストンの「きいてください看護婦さん」の詩では、

寝たきりで意識もないと思われた患者の前で、

看護師があからさまに今死んでほしくないわ、

デートの約束があるからなどと、

患者の人権を無視した発言や行動が触れられていたことを思い出した。


当時は、こんな酷い看護師がいるわけがないと思っていたが、

ふと見直すと、高齢者の看護をしながら

「自分の勤務時間が超えて用事を頼まないでほしい」などと考えている自分に気づき、

まさにこの詩の中の看護師に自分がなっているのではとハッとさせられた。

 

家庭での介護が難しく

長期入院を余儀なくされた寝たきりの高齢者を愛しい存在と感じながらも、

4年の勤務の後に再び現実逃避の気持ちにかられ病院を退職した。

それから私が取り組んだのは、

ネバーアゲインキャンペーン(NAC)というボランティア活動であった。

 

NACは、原爆投下国でホームステイしながら被爆体験を伝え、

核兵器廃絶を呼び掛けるものである。

 

兵庫県の教師・北浦葉子が始めた手弁当のボランティアでは、

「人間をかえせ」という原爆のビデオを持って

アメリカの学校(主に中学・高校)の社会科の授業を訪問した。

 

原爆のことだけ語っても反感を持たれて受け入れられにくかったので、

まず着物を着たり、習字で生徒の名前を書いたりして、

日本の文化を伝え、スライドショーで日常生活も伝え、

交流を深めたところで被爆者のメッセージを伝えるものであった。

私はそのNAC大使の5期生として、

カナダのトロントに半年、アメリカのシアトルに半年滞在した。

 

つたない英語で

「I came here for two reasons, one is for culture, one is for peace.」と

着物姿で話すと皆が熱心に聞いてくれた。

 

とはいえ、訪問する学校探しも大変で、

手紙を出し、電話でアポイントをとることもすべて自分で行っていた。

 

渡航費なども全て自費、

スポンサーもないNAC活動を始めた北浦葉子に共感した

アメリカの平和学者レイスロップ夫妻がアメリカ側の事務局となって、

現地のボランティアのホストファミリーを探してくれて、

当時の私も寝食を提供してくれたホストファミリーにはとてもお世話になった。

 

NACは20年以上10期生の大使まで続いたが、

2001年のアメリカ同時多発テロ以降は

ビザの取得が難しくなり休止状態が今でも続いている。

 

戦争や原爆の勉強をしながら、

20名以上の被爆者のインタビューを行って、

日本の加害責任も踏まえて活動を重ね、

200回以上のプレゼンテーションを行った一年間は、

私にとってかけがえのない貴重な体験であった。

人生に否定的であった私が、

ポジティブに物事を考えられるようになったと思う。

 

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帰国後、生活のために看護師として復職したが、

間もなく結婚・出産のために三度目の離職となり、

しばらく専業主婦として家事・育児中心の生活をしていた。

 

子ども二人が小学校に進学した頃に、

パート看護師として復職した私は、

介護老人保健施設や精神科病院で短時間勤務をこなしていた。

 

特に看護師のキャリアを積み上げることなくパート勤務をして7年経ち、

常勤看護師となった矢先に、

夫の転職で関西から東京へ家族4人で引っ越すこととなった。

 

そこで私は自宅から近い精神科病院への就職を決めたが、

そこで思いがけず、主任看護師という中間管理職を任されることになった。

そして初めて看護研究にも取り組むことになった。

SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)で

統合失調症患者の心理教育に携わりながら

様々な研修へ参加する機会を得た。

 

この施設での私の一連の取り組みは看護部長の厚意によるものである。

私のやる気を起こしてくれた看護部長には心から感謝している。

役職を与えられたことは、

一から看護を勉強したいという私の意欲もかき立ててくれた。

 

折しも、思春期に統合失調症を発症してから、

入院が長期化して、感情コントロールがうまくいかないまま

還暦まで間近の患者との関わりが、

私の中で精神科看護のポジティブな可能性を見いだすきっかけをくれた。

SSTを通して内服薬や金銭の自己管理など

その患者の自立への援助を行う中で、

その患者は病院リースの病衣から私服を着るようになり、

しかも明るい服を選ぶようになり、

外出して外食やショッピングを楽しむようになり、

退院の意欲が湧き、今では単身生活へ向けて外泊を訓練するまでになったのである。

 

時期を同じくして夫が教えてくれた

「ナースが簡単に看護大学卒になれる本」を手にしてから、

学士号を目指すことを決めた。

 

昨年4月から通信制大学で履修を始めた矢先に、

勤務先で看護師長への昇格の話をいただき、

プレッシャーを感じながらも新米師長として1年ほど頑張っている。

 

看護師として全く自信のなかった私を

慕ってくれる患者さんやスタッフを前にしていると、

成長してきたい、生涯学習していきたいと強く思う自分に気づき、

役職とは不思議なものだと感じるのである。

 

人間の器は初めからあるものではなく、

ある役職についてから日々形成されていくもので、

周りに支えられて育っていくものだと感じている。

そこに真摯に応えていきたいと思う。

大学での学修成果レポートのテーマは

「精神科看護の接遇に関する問題点の考察」であった。

 

私がこのテーマを選んだ理由は、

精神科看護に携わっている日々の中で、

精神科看護の接遇に関する課題が多いと感じたからである。

 

精神科患者への虐待は昔からニュースで取り沙汰されている問題である。

精神科では30年~40年に及ぶ長期入院となる患者がいるため、

精神を病んだ弱者への支配的な関係、

24時間ケアに当たる看護者と患者の距離感、倫理観への意識など、

様々な点で接遇への認識に看護者間差がみられる。

 

ホスピタリズムによる無為自閉傾向や、

退行、疾患による幼児化が出ている患者に「ちゃん付け」をしたり、

友達同士のような言葉遣いをしたり、

看護者が支配的に接する場面を見る。

 

そうすることで患者との距離が縮まり、

一見良好な関係を築けたように感じるものだが、

実はそれが患者の自立心の妨げになっているのである。

 

精神科看護は、古くは手かせ足かせを用い、

看護人は【強力―(ごうりき)】と呼ばれ、

力づくで患者を押さえつけてきた歴史を持つ。

 

これまでその犠牲になってきた患者のためにも、

今の精神科看護に従事するものには高い倫理意識が必要だと感じている。


その第一歩はやはり言葉遣いである。

一般の病院でも看護師の言葉遣いは大きな課題となっており、

「看護師に友達のように話しかけられて不快だった」

「看護師は何故上から目線なのか」

「タメ口で話す看護師が多い」と様々な指摘を受けている。

 

今年看護大学1年生となった私の娘は、

看護実習先の病院で、患者に対して「体拭くねー」「足洗おっかー」など、

子ども扱いしているような看護師の言葉遣いについて、

大学での学生カンファレンスで指摘したと話してくれた。


実習指導者からは「言葉遣いに正解はありません」と返答され、

他の学生たちからは、親しみやすい、

威圧感がないから話しやすいと感じたとのことであった。

 

こういった話から私は今後の看護教育の課題を強く感じるのである。

看護師には『人間の尊厳を守る』ことが求められる。


オムツを交換する際に

「お尻を拭かせていただきますね」

「足をあげてくださいね」と丁寧に言われると

患者の羞恥心を生み出す場合もあるし、

「ハイ、足あげて」

「ハイ拭くよ」といったくだけた言葉かけが

自然と受け入れられる場合もある。

 

しかしながら、接遇は第三者がどう感じるかも求められる。

精神科看護の接遇には日々の振り返りが重要であり、

スタッフ同士で話し合いを重ねて意識向上を図ることが大切だと、

私はレポートをまとめた。

 

是か非かよりも、

振り返り、常に顧みることが必要だと思っている。

学びたい意欲が先行した私は学士号取得と同時に、

この10月から星槎大学大学院に進学を決めた。

 

精神科看護における接遇を、

倫理意識と関連付けて研究していきたいと思う。

 

中でも言葉遣いに焦点を絞りたいと考えている。

言葉遣いは重要なものであり、

『言葉は心を運ぶ音であり、看護の姿勢が言葉に表れる』と思うからである。

 

患者中心の医療の流れで、

「患者様」という呼称が、よそよそしさや冷たさを感じると、

「患者さん」に見直されたことは記憶に新しい。

 

質の高い倫理観を看護師が持ち、

患者とのコミュニケーションに生かせるような研究を行いたい。

 

看護倫理観を構築する大切な看護学生の時期に、

問題提起ができるような方法を取りたいと考えている。

私が、ここまで研究の意欲を持てるのは、

周囲の支え、特に家族の支えのお陰である。

家族に感謝しながら仕事も勉学も進めていきたいと思う。

略歴
長崎県生まれ 看護専門学校卒業 看護師歴20年
関西などでの病院勤務を経て現在は都内精神科病院の病棟看護師長
(ゼネラルリスクマネージャー兼務)として勤務 

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