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日本的ナルシシズムとうつ病の難治化・自殺の問題について

2016/12/06

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

この記事はハフィントンポスト日本版より転載です。

http://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/depression-apparent-suicide_b_12532570.html

精神科医 堀 有伸

2016年12月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

今年の6月に『日本的ナルシシズムの罪』という本を出版させていただきました。

http://www.shinchosha.co.jp/book/610671/

 

精神科医として診療活動を行ってきた中で、

うつ病などの精神疾患が難治化し、

自殺のリスクが高まっている患者さんの対応を迫られた中で経験した困難が、

「日本的ナルシシズム」について考え始めた最初のきっかけでした。


実証的なエビデンスが得られなかったために注目されることが減りましたが、

以前の精神医学ではうつ病の病前性格論が盛んで、

「執着気質」とか「メランコリー親和型」などの

うつ病になりやすい性格が論じられ、

それらの詳細を必死に勉強したのが私の精神科医としての初期教育でした。

 

「まじめないい人がうつ病になる」というのは、

その内容を単純化した表現です。

 

しかし、以前から精神科医の中でも精神病理学者と呼ばれる人々は、

そういう「まじめないい人」と「社会的な役割」の関係に

不健康なものを読み取っていました。

 

つまり、個人的な「休みたい、快を感じたい」という欲求と、

小社会の内部での「立場を保ちたい、向上させたい」という欲求の

バランスがおかしくなっていることを見いだしていたのです。

 

社会における通常の教育では、個人的な欲求を抑えて、

集団内の役割が期待するものに添う方向に働きかけるものが多いのですが、

うつ病に親和性があると考えられた人々では、

病的なほどに、「休みたい、快を感じたい」という欲求よりも、

「社会的な役割を保ちたい、向上させたい」という欲望の方が亢進していることを、

精神病理学の先人たちは見出したのです。

 

むしろ、「自分が所属する小社会から自分に向けられた期待を裏切ることに、

恥や罪悪感の観念をともなう強烈な苦痛を感じる」と説明した方が、

適切かもしれません。

 

そういう人々への“治療的な”働きかけは、

まるで、まじめな人を不まじめにさせるかのような、

不道徳なことを勧めているかのような雰囲気をまとってしまうことがあります。

(もし、精神科医にうさんくさいイメージがあるとするなら、

このことの影響は結構大きいでしょう)

 

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この現象を、精神分析の理論を援用して、

「社会内の立場」を得てそこに一体化している

ナルシシスティックな自己像に近づくことから得られる情緒的な満足ばかりが過大となり、

他の欲求を充足させることが省みられなくなっている状態であると理解しました。

 

しかし精神医学の理論から見て病的であったとしても、

この状況を耐えて乗り切って成功すれば、

困難に打ち勝って社会的な事業を成し遂げたとみなされることが多いので、

その社会的な立場から降りられなくする「善意の」助言は、

あちこちに見出されます。


そして、当人は死ぬほどつらくとも、

小集団内の高次と見なされる立場を失うことの恐怖の方が勝って、

降りられなくなっていきます。

(そして、うまくいかない政策の間違いを認められないこと、

そしてそれをやめられないことにも、この心理はかかわっていると考えました)


このような状況に陥っている患者さんを何とかしようと、

「病気だから休む/降りるように」と伝えることは、

その人のナルシシズムへの挑戦と受け止められる危険性が高いのです。

 

たとえそれが主治医からの助言であっても、

激烈な反応を呼び起こすことがあります。

 

自己愛が傷ついたことによる自己愛性憤怒narcissistic rageが引き起こされ、

「指導する立場」に主治医があることを破壊しようとする羨望envyが

亢進することによる闘争

(主治医と患者で、揚げ足を取り合って攻撃し合うようなことも生じます)へと

治療場面が変容してしまうことがあります。


そのあたりの攻撃性が、

ヘンにねじ曲がって他所にぶつけるところがなくなり、

自分に向かうと自殺のリスクが高まります。

 

この理論で、今の社会的な現象を、

ある程度説明できると考えています。


そこから導かれた結論の一つはきわめて常識的で、

「なるべくプライドを傷つけない言い方・伝え方を考える」ということになるのですが、

切迫した状況では、そうも言っていられないこともありえます。

 

自分が担おうとしている社会的な責任を果たすためには、

ナルシシズムとナルシシズムのぶつかり合いになることを覚悟で、

厳しい直面化を相手に迫ることが必要なときもあるのです。

 

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危惧するのは、日本という社会全体で、

「個人的な欲求を省みるのはダメなことであり、

直接かかわる集団の理念よりも普遍的な価値を訴えるのは

勘違いした未熟さの現れであり、他のことを無視して、

所属する小社会のために滅私奉公して

すべてを捧げることがまともな社会人である」という思い込みを共有し、

相互に厳しく監視することで成功してきた

(そしてその失敗の部分を否認してきた)という面があったことです。

 

ここで共有されている美化された集団と

個人の理想像に心理的・社会的に拘束されている状況を、

日本的ナルシシズムと呼びました。

 

しかし、否認して意識から排除したい現実が、

明らかになる事態が続いています。


私は、日本人の一人一人が、

日本的ナルシシズムによる相互拘束を抜けて、

本当の良い意味で自我を確立することで、

ナルシシズムの病理を克服して成熟させることが

今の時代における倫理的な行為であり、

それによって個人と集団が

弁証法的に高め合うような状況を実現できると考えています。


その時に日本的ナルシシズムは終焉し、

成熟した日本的な誇りが回復していることでしょう。

 

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