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私が高野病院を応援する理由

2017/01/24

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

この原稿はハフィントン・ポストからの転載です。

http://www.huffingtonpost.jp/arinobu-hori/takano-hospital_b_14043304.html

 

ほりメンタルクリニック院長 NPO法人みんなのとなり組代表理事
精神科医(精神病理学) 堀有伸

2017年1月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

高野病院は、福島県広野町にある内科64床、精神科53床の病院です。

東京電力福島第一原子力発電所から30km圏内にあるために、

2011年の原発事故後には緊急時避難準備区域に指定され、

患者さんたちには避難指示が出されました。

 

しかし「重症の患者を避難させたのならば、命にかかわるような事態になる」という

当時の高野英男院長の判断で、

そこに留まって高野病院の皆さまは診療を継続されました。

 

現在の状況でそろっているデータから見れば(たとえば震災関連死の多さ)、

放射線の直接的な健康影響よりも、

避難生活等のストレスの方が大きな影響を与えていたことは明らかになってきています。

その当時に、そこまでの判断ができた高野先生の慧眼には敬服するしかありません。

 

しかしながら、多くの職員が退職してしまうなかで、

今日までその活動を継続することには、

多くの苦難があったと聞いています。

 

また、行政からの指示を守らなかった病院に対しては、

必ずしも好意的な対応がなされてはいなかったようです。

 

その高野英男先生が昨年末に亡くなられました。

81歳でした。

 

ご高齢にもかかわらず、震災後には、

病棟・外来に加えて多数の当直をこなす、

ただひたすらに地域の患者さんたちのために働かれた毎日でした。

 

院長が亡くなられた後、高野病院には常勤医がいなくなりました。

多数の非常勤の医師、

ボランティアの医師で診療

(私もほんの一部ですが、精神科の診療のお手伝いをさせていただいています)が

何とか維持されている状況です。

 

しかし、無為に過ごせば

病院は無くなってしまうおそれが強いと言わざるをえません。

何としても、院長職をこなせる常勤医を確保することが必要ですが、

その点については先行きが不透明なままです。

 

県などの行政のイニシアティブで院長となる常勤医が決まってほしい、

というのが私の願望です。

 

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私が経験している範囲では、

震災後の復興を目指す被災地において、

官と民の連携は必ずしもスムーズではありません。

その状況を打破するために、

高野病院の今回の危機が、

官民連携による課題解決の成功事例になってほしいのです。

 

私の中に一つの後ろめたさがあります。

それは、生前の高野先生の窮状を知りながら、

十分なお手伝いをできなかったという思いです。

多くのご負担がかかっているのを知りながら、

近隣に住む精神科医であったのにもかかわらず、

私は先生を見殺しにしてしまったのではないか、という思いがあります。

 

なぜ、高野病院をお手伝いできなかったのか。

それは、怖かったからです。

 

あの双葉の地で、他の医療機関が乏しいところで、

行政からの理解や支援も乏しく、

一人で高度の質・量の臨床業務を担っている高野先生のお仕事にかかわると、

責任感と誇りを保つためには、

自分を捧げ尽すところまで必要になるかもしれない、

そういうおそれです。

 

去年4月に自分のクリニックを南相馬市に開業した私には、

それはできない、という考慮も働いてしまいました。

 

たしかに、現在は高野病院のことが注目され、

多くの支援が寄せられています。

 

しかし、私は日本人が熱しやすく冷めやすいことも知っています。

もちろん継続して応援してくれる人はいるでしょうが、

多くの方は去っていくと考えるのが自然です。

 

この先、高野病院の院長を引き受けられる立派な先生が、

個人の立場で現れるかもしれません。

 

しかしその場合に、

その先生に過大な負担がかかり過ぎないだろうかということが心配になります。

高野英男先生がそうであったように。

 

そこに、高野病院の院長人事に行政も責任を一部負担する形になれば、

そのようなことが防げるのではないか、そう考えます。

 

日本中で医療過疎と呼ばれる地域は多くあり、

消滅していく医療機関は多々あります。

その中で、一民間医療機関である高野病院に、

公の立場からそこまでの肩入れはできないという意見もあるでしょう。

 

たしかに、現在熱心に活動している医師の数だけを固定したものと考えれば、

ある地域を応援することは、他の地域を圧迫することにつながります。

 

しかし、日本社会が大きく変動している今、

別の発想が必要ではないのでしょうか。

 

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高野病院は、原発事故被災地にあります。

そこで個人の判断と志で留まって医療を継続した高野院長の判断は、

放射線の直接的な健康被害は

今回の事故については少ないという国の判断に沿っています。

 

そこで医療を継続したことも、

帰還促進という国の判断に沿っているはずです。

そして活動された内容は、

ひたすらに地域の患者さんのために診療を行うというものでした。

さらに、その活動は知られないままに埋もれたままではなく、

現在は多くの人の知るところとなっています。

 

それなのに、旧来の官尊民卑の価値観で、

高野病院の今までの貢献が「個人の利益や名誉欲によるもの」と切り捨てられ、

その担っていた責任が民に丸投げされるのならば、

もはや今後には、大きな見地から

自発的に考えたり活動したりする個人が現れることは期待できず、

ひたすら直接的な関係のある上の顔色をうかがう文化が醸成されてしまうのではないか、

そのような危惧を持ちます。

 

その結果は、他の地域の医療、

あるいは地域の医療以外の分野にも影響を与えないではおかないでしょう。

 

これからの日本社会は、多くの課題が表面化してきます。

その時に、自ら意欲的に考え行動する個人がいない社会は、

問題解決能力を発揮することができません。

 

誤解しないでいただきたいのは、

官尊民卑の価値観を逆転させて、

民が官よりも上、官がひたすらに悪、

というような主張をしたいのではない、ということです。

 

官に問題がある以上に、民のどうしようもないところは、

本当にどうしようもないというのも、一面の真理です。

 

先ほど述べた、熱しやすく冷めやすい点もその一つです。

批難の応酬は、良い結果を導かないでしょう。

 

私が「官・公」の立場にいる方に期待したいのは、

必ずしも「上意下達」の文化になじめない個人でも、

それを使いこなす度量を持っていただきたいということです。

 

同じ問題解決を目指す違う立場の同等な資格を持ったパートナーであると、

民の立場にある人間を認めてもらうことは、不可能なことでしょうか。

 

くり返しますが、私が本当に望むのは、

これから高野病院の問題が、官民の連携の、

そして地域の問題解決の良い成功事例となって解決されることです。

 

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