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バングラデシュでのICTを用いた医療の可能性

2017/06/02

 

*この原稿はMRIC by 医療ガバナンス学会の許可を受け転載しています。

 

森田知宏

2017年6月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 

 

2016年12日、スタートアップ企業miupのメンバーとして、

バングラデシュを訪問した。

 

そこで感じたICTを用いた医療の可能性について報告したい。

なお、この内容は一部、

英字雑誌『International Journal of Health Policy and Management』に

レター(http://www.ijhpm.com/article_3344.html)として掲載された。[1]

 

ICTの医学研究への応用・活用は日進月歩と言える。

例えば、患者の症状から推定される診断名・疾患名を表示する

「症状チェッカー」というツールがある。

 

この症状チェッカーと臨床医のどちらが正確な診断を下せるか、

という研究が、『British Medical Journal (BMJ)』、

『JAMA Internal Medicine』に相次いで発表された。

 

いずれも、米国ハーバード・メディカルスクールの

Hannah L Semingran氏らのグループから発表された。

どちらも、現段階の症状チェッカーのレベルは医師に及ばないと結論づけている。[2][3]

 

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この理由は、情報不足に起因する。

一般的に診断とは、ある疾患に対する症状の感度・特異度という情報と、

疾患の有病率を元に、症状から診断の確率を計算し、

何らかの基準で最も疑うべき候補を挙げる行為である。

 

たとえば、冬に20歳の健康な若者が、

前日から続く38.5℃の発熱を訴えて医療機関を受診した場合、

多くの医師はインフルエンザを念頭において診察するだろう。

 

このとき、医師は意識しなくとも、

冬=インフルエンザの流行期(インフルエンザの事前確率が高い)、

20歳=免疫低下や重大な病気の可能性が低い(インフルエンザ以外の事前確率が低い)、

38.5℃=高熱は、インフルエンザでよくある(感度が高い)症状である、

などの情報を統合して考えている。

 

症状チェッカーで用いられるアルゴリズムも、

この思考回路をベースにしている。

 

すべての情報が数値化されていれば、

患者の症状に対する診断の確率を計算することが、理論上は可能だ。

 

ところが、実際にはこのような情報をすべて含むデータベースは存在しない。

人間である医師は書籍や論文における断片的な知識の蓄積、

経験や患者の印象で補完しているが、

症状チェッカーにはそれができないため、

現時点では医師に軍配があがる。

 

症状チェッカーを改善するには

アルゴリズムに必要なデータベースを構築する必要があるが、

一からそのようなデータベースを作るのは手間も費用もかかるため、

既存のものを使いながら少しずつ蓄積・修正させていくのが現実的だろう。

 

しかし、現段階における研究結果から、

症状チェッカーが医師にかなわないと決めつけるのは早計だ。

 

なぜなら、症状チェッカーの精度は右肩上がりに改善されるからだ。

一方で、医師の診断の成長は頭打ちとなる。

 

近い将来、医師による診断の精度を超え、

プライマリ・ケアの臨床現場で欠かせないツールとなるはずだ。

 

診断の見落としを防止し、若手医師の成長にも寄与するだろう。

さらに、患者の表情や声色など、

医師による診察では収集できなかった情報を活用できるようになれば、

医師の診断精度との比較自体が不適切になるだろう。

 

血液検査とレントゲンのどちらが優れているか、

という問い自体にはさして意味がないように。

 

重要なのは、症状チェッカーのような新しい技術を受け入れ、

積極的に活用しようとする医療者側の姿勢だ。

 

特に、臨床現場からフィードバックを与えて、

症状チェッカーを育てるような医師の存在は重要だ。

これが、将来の診療の質の向上、引いては患者の安心につながるだろう。

 

さらに、現時点でもこのようなツールが活用できる地域はある。

例えば、発展途上国のような医師不足地域だ。

 

バングラデシュでは、

人口10万人あたり医師数が40人程度しかいない。

日本において約200人であることを考えると非常に少ない。

 

人口は1.6億人と日本より多いものの医師数は4分の1だ。

看護師に至っては、医師数の0.4倍とさらに少ない。

 

当然、都市部以外では医療機関を受診することは困難だ。

そこで活躍しているのが、コミュニティ・ヘルス・ワーカー(CHW)と呼ばれる、

企業やNGOによるトレーニングを受けた地域住民だ。

 

彼らは医療資格こそないが、

地域住民のプライマリ・ケアを支えるうえで不可欠な存在となっている。

特に世界最大のNGOであるBRACのものが有名で、

これまでにも下痢性疾患の死亡率低下、

結核治療の成功率上昇などの実績をあげている。[4]

 

現在では、大小の団体が多様なCHWのサービスを展開している。

その中で、地域住民の自宅の清掃なども行い、

その際に対症療法の薬を売る、

いわば御用聞きのサービスを展開している方の話を聞く機会があった。

 

彼は、「CHWには薬を売ったマージンで収入が入り自立できる。

医療機関を受診できない住民は薬がもらえる。いい循環だ。」と胸を張る。

 

政府の規制について聞くと、

「知らないが、住民の役に立っている」と答えたのが印象的だった。

 

このようなCHWの問題は教育コストだ。

この分野のトップに立つBRACは、

地域住民(いわゆる「地元のおばちゃん」)をピックアップし、

患者を診察する手順などを繰り返し教育する。

 

さらに、数値目標を明確にし、

事後モニタリングを行う仕組みを徹底している。

 

たとえば先述の下痢性疾患の死亡率低下キャンペーンの際には、

下痢による脱水をふせぐため、

経口補水液を家庭でつくるよう指導した。

 

さらに、CHWによる介入の一ヶ月後に

地域住民の母親がつくった経口補水液をAからDの4段階で評価し、

評価に応じてCHWが報酬を得られるようにフィードバックを行った。

 

その結果、662の村に住む5万8千人の母親のうち90%が、

AまたはBの評価を得た。[5]

 

このような仕組みは文章で伝えられ、

ある程度はパッケージ化されている。

 

しかし、実際に運用するためには細かなノウハウが必要で、

簡単には真似出来ない。

 

さらに、昨今では後追いする団体が増えたこともあり、

抗菌薬の濫用や、患者の重症度を適切に評価できないなど、

質の保持が困難であると指摘されている。[6]

 

このようなCHWの質を保つために、症状チェッカーは有用だ。

CHWの使用する状況では、細かい診断名は重要ではなく、

対症療法、医療機関への受診が必要、

緊急対応が必要、のどれが必要か分かれば良いからだ。

 

上記のBMJの論文でも、緊急治療が必要な症例については、

現存する症状チェッカーでも80%の精度で適切に判断されたと報告されている。

 

したがって、現時点でも症状チェッカーを組み合わせることで、

緊急症例の見落としを防ぐことができる。

 

このような技術の応用可能性は、

ICTインフラの整備によって後押しされている。

 

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首都ダッカにあるレストランやカフェの多くでは、

Wi-Fiが無料で使用可能だ。

 

中産階級を中心に、

安価な中国製・インド製スマートフォン(スマホ)を持つ人も普及しており、

大学生が歩きながらFacebookをながめる光景は日本と変わらない。

 

郊外でも3Gレベルの通信ができるエリアが増えている。

私が訪れた日本企業の靴工場の労働者は、

日本円で月1万円程度の収入しかないにもかかわらず、

ほとんどがスマホではない一般的な携帯電話を手にしていた。

 

郊外でも、CHWや住民がショートメッセージサービス(SMS)や

通話を介して症状チェッカーを利用することも不可能ではない。

 

課題があるとすれば、交通インフラだろう。

緊急症例があっても、迅速に運ぶ手段がない。

 

民間会社の救急車もあるが、道路の渋滞が絶望的だ。

通常であれば車で20分かかる距離も、

渋滞に巻き込まれると2時間以上かかる。

 

サイレンを鳴らしたところで、

道路いっぱいに並んだ車は、救急車を避けることもままならない。

こればかりは道路や公共交通機関の整備が行われて

渋滞が緩和されるのを待つほかない。

 

バングラデシュでの我々の挑戦はまだ始まったばかりだ。

テロなど、安全上の注意は必要だが、それを上回る魅力に満ちた国である。

今後も継続して調査を続け、実用化に向けた試みを行っていきたい。

 

参考文献
(1) Morita T, Rahman A, Hasegawa T, Ozaki A, Tanimoto T. The
potential possibility of symptom checker. Int J Health Policy Manag.
2017;6(x):x–x. doi:10.15171/ijhpm.2017.41


(2) Semigran HL, Linder JA, Gidengil C, Mehrotra A. Evaluation of symptom checkers for self diagnosis and triage: audit study. BMJ. 2015;351:h3480. doi:10.1136/bmj.h3480


(3) Semigran HL, Levine DM, Nundy S, Mehrotra A. Comparison of Physician and

Computer Diagnostic Accuracy. JAMA Intern Med. 2016. doi:10.1001/jamainternmed.2016.6001


(4) Mercer A, Khan MH, Daulatuzzaman M, Reid J. Effectiveness of an NGO primary health care programme in rural Bangladesh: evidence from the management information system. Health Policy Plan. 2004;19(4):187-198.


(5) イアン・スマイリー 「貧困からの自由―世界最大のNGO-BRACとアベッド総裁の軌跡―」 (明石書店)


(6) Rowe AK, de Savigny D, Lanata CF, Victora CG. How can we achieve and maintain high-quality performance of health workers in low-resource settings? Lancet. 2005;366

(9490):1026-1035. doi:10.1016/S0140-6736(05)67028-6


写真1:現地で手伝ってくれた大学生たち。日本への留学を希望している学生もいる。

http://expres.umin.jp/mric/mric2017_117-1.pdf

 

写真2:車内から撮影した渋滞の様子。車線を意識するドライバーは皆無だ。

http://expres.umin.jp/mric/mric2017_117-2.pdf

 

 

 

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